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元タクシー運転手から泥沼にハマった男のブログ

30代元タクシー運転手が農家になる途中

農業では思想から離れるぞェ

精神・自己受容 孤独と貧困 田舎暮らし・農業

僕がよく聴いているポッドキャスト『ノウカノタネ』で、面白い話をしていた。ヤマギシ(思想団体?宗教団体?)の食品がおいしかったという話から、「宅配野菜は思想も売り物」という話になり。パーソナリティ3人が揃うと視点と切り口がバツバツと色んな角度から切れて面白いなぁと改めて感じた。

 

ヤマギシについてはなんか聞いたことあるなと思ったら、以前観た映画『八日目の蝉』の中に出てくる団体のモデルになったと言われてる団体だった。映画で見る限り思想の強い宗教団体という感じだったが、そこの野菜や食べ物がおいしいというのはとても興味深い(僕は食べたことは無いが・・・)。

 

今の僕の周りにはオーガニック系の人が多く、僕がやってる農業はザ・慣行農法。そのオーガニック系の人たちと食べ物の話や一緒に食事するときなどはストレスを感じることが多かった。僕はカップラーメンファストフード大好き人間だから。

しかし何でかな。気にしなきゃいいのに何でこんなにストレスを感じるのだろうと思ってたけど、今日、先のポッドキャスト配信を聞いていて思い直したことがある。やはり僕は思想や言葉から離れた生活を送りたいというのがあるのだと思う。もちろん根本の根本の自分は喋りたいのだとは思うが、社会の中では・・・。

 

前職タクシー運転手も、結構無心になって運転できるのがいいところだった。お客さんが乗ってる時間は多くて50%。空車で運転してる間はほぼ無心だし、お客さんを乗せて会話はしていても、やはり運転に意識は多くいっていた。対面に向かって話をするのとは、相手への意識の向け方や自分への気にしぃが全然違うなというのは当時も感じていた。それが運転手としていいのか悪いのかは別として。

 

農作業も結構無心になれるところがあり、また自然の中というか外仕事はそういう面があると思う。オフィスで周りが人ばかりだと、僕はなぜか他人の言動が逐一気になったり、それを気にして影響され、自分の行動が変わってしまうような人間なのでそういう面では今は疲れなくて済む。体を動かして汗をかき、一日が経つ。肉体的には疲れるが、しっかり食べてしっかり寝て、次の日起きたら取れている疲れなので気にならない。他人のことを気にするのは何日経っても疲れがなかなか取れない・・・。

 

だから無心になってできる仕事というのは僕にとっては大事で、そこが侵害されるのが辛いのだと、今日のポッドキャストを聴いていて感じた。特に有機や無農薬自然栽培農業というのは農薬や化成肥料を基本的に否定するものであって、それは慣行農法自体を否定することに間接的ではあるけどなってしまっていることがある。そこにどうしても対立が生まれてしまうから、ストレスを感じてしまうのだろう。自分が弱いという証拠でもあるのだと思うけど。

 

僕の理想の生活は、なるべく無心で仕事をして、夜は酒を飲んで歌って、寝て、起きたら寝ぼけてメシを食べ、仕事が始まればまた無心。そういう生活をしていれば自分への攻撃もしないで済むし、変なことを考えることも少なくなるのではと考えている。安易な考えだし、途中で様々なストレスがあるとは思う。途中で目標が無くなって愕然としてしまうかもしれない。でもそのときのことを今心配したとしても、できることなんてないよとは思う。今の時点で特別な目標もないのだし。

 

そんなわけで、なるべく思想から離れようとしているのが今の生活だと再認識した次第である。

ブログも正直記事を書くのがしんどいので滞りがちにはなっている。いわゆるアクセスが増えそうなお役立ち系の記事なら思想を書くこともほぼ無いし、アイデアが出たときに書けばそれなりにアクセスがあるしまぁいいのだが、農業系の記事はどうしても思想のアピールみたいになって理論めいたものになる。書いてて自分も疲れるし。こういうブログという形態だとしょうがないのかな。

 

なので今後は少しこのブログに関しては形態を変えようかなと考えています。そろそろ就農という形になるし、そういうのが漏れて、田舎だから思想がぶつかって何かの火種になっても嫌だし。

 

最近のGoogleが内容の無いサイトを潰しているという話題をはてブで読んだところだし、悩ましいところです。

 

 

 

 

 

ここは希望の底辺脱出ブログ

孤独と貧困

今僕は、アルバイトを2つ掛け持ちしながら、新規就農を目指している状況だ。1つは警備員、いわゆる1号警備、施設警備。もう一つは、林業関係のアルバイトである。

 

林業のアルバイトのほうは幸いなことに融通を利かせてくれる職場で、入りたい日に入らせてくれて、1日いくらで払ってくれるありがたい職場だ。本当はレギュラーで入れたらいいのだが、農業を本格的にやりたい身としてはシーズンで入れない時期がどうしても発生してしまう。来シーズンからどうなるかは不明・・・。

 

実は近々、その林業のアルバイトの方で交通誘導の警備を頼まれた。普段はチェーンソーを握ったりノコギリを引いたりの手伝いをする仕事が多かったが、おそらく次の現場は道路にかぶっているような木の伐採や片付けが必要な現場なのだろう。以前も少しそういう形の現場があった。

 

交通警備というのも結構大変な仕事だ。「棒振り」などと揶揄されることもあるみたいだが、タクシーをやっていた身として、都内では毎日いつもどこかで工事はしていて、特に深夜、道路工事での警備員の誘導にはすごく助けられたし、ひとつ間違えば事故につながる重要な仕事だと感じていた。警備員も千差万別で、いかにも慣性で体の下半分で誘導棒を左右に振っているだけという人もいれば、ちゃんとこちら側を向いて「止まれ」「Go」をしてくれる人もいる。おそらく教育の違いなんだろうなというのは、今の施設警備の仕事を始めてからも思った。基本的に東京都内のほうが警備員もしっかりしてますよね。こっちはたまにいても明らかにグダグダ。

 

さて、タクシー運転手・警備員とくると底辺な職業というイメージがあるようで、このブログにも「タクシー 底辺」とかいうキーワードで訪問してくれる人が意外と多い。こういう人って現役の運転手なのか、それともネット弁慶で叩きたいだけの人なのだろうか?

 

以前も書いたが、タクシー時代にお客さんに「この底辺が!」と罵られた身としては、そういうのも他人事にはできない感がある。僕個人としてはタクシー時代よりもその前のパソコンオペレーターバイトの時期のほうが、消耗するだけの生活で辛かった記憶がある。年収も200万円台だったし、慎ましく暮らすだけの生活。スーツは着ていたしオフィスも綺麗だったけど、時間を切り売りするだけの生活で、お金をかける趣味など持ちようがなく、やはり底辺で消耗していた生活と言わざるをえない。

 

底辺にいるときの感覚は忘れ得ない。何というか、今から考えると「希望がない」ことが一番の悪だったと思う。「働いても働いても」という感覚が常に身をまとっていたような感覚があった。だから「どうしたら脱出できるか」は頭の片隅に置きながらも、ただしかし現状を変えるパワーは無く、という生活だった気がする。

 

以前も書いたが、今の生活は金銭的には過去最悪である。だけど希望があるのが自分としては本当に大きい。1年後にはこういう経営をして、5年後にはこうで、車はこういうの買って、家を買うならどこに買うか・・・。

 

実際できるかどうかは全く分からない。ただ、自分の経営次第で、規模を拡大して、パートさん雇ったり社員的に雇ったりして効率よくできれば、収入が上がるのは確実だ。できるかどうかは完全に別として。そういう希望感の有無が、フリーターで消耗していた生活とは正反対なところである。そして、そういう「希望」が、人生をよりよく過ごすためにすごく重要なことなんだと、今切に感じている。

夜、意味もなく落ち込むことがほとんど無くなったのがその証だと思う。

 

 

 

PS

キーワードで「林業 ブログ」でググると当ブログの記事が今日現在一番上に上がっていました。こちとら就農するって言うとんのにどういうこっちゃ。

林業者の方々、ブログ開設すればすぐ一番上に来ますよー。Tじまさん見てる〜!?

人生において「逃げ」とは何か?

精神・自己受容

少し前、久しぶりに曇って天候が悪くなり、気圧も下がり、やけに内向きになる状況。

 

そんなわけで、久しぶりに「自己肯定」みたいなことについて考えている。

 

僕は一昨年、農業で稼げるようになる、という目標を持って、東京でのタクシー運転手を辞め、こちらに引っ越して来た。

 

しかしそれを当初周囲の人に伝えたときに、「逃げだ」と言われた。おそらく辞める理由に、道路を走ってると子供が飛び出てきてそれからまともに運転できなくなった、トラウマだもんうわーん、と言い訳じみたことを挙げたからというのも大きいと思う。こちらに来て初めて会った人に経緯を話したときにも言われた。「逃げて来たんだね」と。

 

嫌なこと言うなぁと思ったが、嫌だと感じるということは図星なんだと思う。もっともな理由をつけても、本来プロの運転手なら、子供を見つけたら飛び出てくることを予期してそれなりに対応をしなければならないのだ。僕はそれができなかった。今後同じ状況に立ったときに、その危険を予測して、減速して徐行しする、それを出勤途中の急いでいるお客さんを乗せた状況でも必ずする、その覚悟が持てなかった。

言い訳がましいが、プロのタクシー乗務員ならそれを頑としてやらなければならない。僕はそれから逃げた。今でも政界は分からない。

そしてその他色々、仕事上で嫌な気持ちになることから逃げたのかも知れない。「逃げてきたんだね」と言われたときに「どこが逃げなんですか⁉︎」とは反論できなかったのが証拠。

(※ちなみに轢いてしまったわけではない)

 

僕は中学校から高校に進学するとき、とある部活の強豪校に進学した。中学時代にそこまで結果が出たわけでもない。県大会にも出ておらず、スポーツ推薦があったわけでもないのに。

新入生は入学式より前に練習に参加するのが慣例だった。そこで、人生で初めていがぐり頭にした僕は周りの同じ新入生のプレーを見て「こりゃ勝てないな」といろいろ打ち砕かれた。初日にして。

が、そのような態度は決して表には出さず3年間部活をやり通した。それを認めてしまうとそれまでやってきた自分のアイデンティティが崩れるから。3年間、レギュラーを目指していたように見せていた、周囲には。しかし自分では、自分に「ダメ」な烙印をバシバシ押していた。当然レギュラーには一度もなれなかった。

そのことを突き詰めると、結局自分のことをダメな人間だと決めつけていたのだ。

 

僕はそのとき、自分と真剣に向き合わず、自分から逃げたのだ。

 

そしてその後も。

 

ただ、だからと言って自分を責めることもないと、今になってだが思えるようにはなった。

 

人生において、逃げの最たるものが自殺だと思う。僕自身、昔から思い悩むほうだったし、初めて死にたいと思ったのは小学校4年生のときだったのを覚えている。何があったのかは覚えていないのだが。

特に社会に出て最初の仕事を辞めてからはよく考えた。自分は本当に生きる価値があるのか、と。

もちろん本当に自殺してしまう人というのは、「逃げ」というよりも正常な判断ができない精神状態だというのが一番大きいと思う。しかし、生きている限りは、「逃げた」ことから逃げられない。

 

ただ、ここで言いたいのはそういう場面での「逃げ」という言葉の負の力についてである。明らかにその言葉にはマイナスな圧力がかかっていて、言われたほうは確実に落ち込んでしまう。「それは逃げだ」と責めるのは、人生で失敗をしたことのない人か、失敗をうまく克服したと思い込んでいる人だ。そして相手と自分とを対比してマウンティングしてしまう。そういうことでしかそういう言葉は出ないと考える。人が愛と平和の生物ならば。

だから、愛と平和の生物でありたいというあなたがもし「逃げ」という言葉で萎縮してたり落ち込んでたりするなら、そんなことはないよと心の底から言いたい。

何よりタクシー運転手経験者として言いたいのは、

「人はそれぞれ勝手に生きているんだ」

「あんたのことを意識下にある人なんてのは周囲の人の中でも10%以下だ」

それに尽きる。

 

***

 

最後に今自分の人生や生活から逃げたいと思っている人に言いたいのは、

 

 「今後の決断、それについては自己責任だよ」 

 

ということである。一見キツイと反射的には感じるかもしれないが、それは少し考え直して欲しい。

 

というのは、「自己責任論」っとひとくくりにすると、少し違うというのがまずある。

 

「これまでの過去の経過、結果」については、あなただけではなく、周りの人や環境の影響が多分にあるはずた。

 

しかし「これからの決断」については、あなたのそこ時の脳みそで、決断できる裁量を持っているということだ。過去の辛い経験やトラウマや経歴があろうとも。

もっというと、その辛い経験を加味できる能力をあなたは持っている。それはしかもあなたにしかない。あなたしか経験してないことのストックがあなたの脳にある。

 

もちろん、傷つけられた過去の傷は、あなたの両親によるものかも知れない。友人からのあのときのトラウマが、今のあなたの生活の歯車を狂わせたのかも知れない。

 

でも、「狂った」と思うぐらいなら捨てちゃえと僕は考える。

 

今のあなたにとって大事なのは、正しかろうが狂わされようが過去ではなく、あなた自身に決定権のある未来だからである。これは本当にこうなのだ。

 

なーんでこんなクサイ言葉を吐いてるのかと自分でも思う。22歳の自分がこれを聞いたら、冷めた温度で捉えていたと思う。しかしこれは、やはり僕自身が、成人してからやっと自分の人生を歩み始められたと思っているからだ。

この自分感というべきか、自分で意思決定していってる感は過去最大だ。これこそが人生 =「生きる」ということではないかと思うのだ。何かに理由をつけて、自分以外のせいにできる余地を残して生きているうちは、なかなかそういう「自分感」は得られないような気がする。

 

***

 

人生において「逃げ」とは、まず悪いことではないということ。

「攻め」も「逃げ」もなく、自分で決定すること。

そして、決定した自覚がありながら生きること。

これが一番大事なのではないだろうか。

 

 

P.S.

女生は正直よく分からないけれど、特に男は「逃げている」という言葉を言われるとムカっと来る性質が、今の日本の空気感でもまだあると思う。本当は、追い詰められているのなら、自殺するぐらいなら、逃げてもいいのに。

 

その逃げたあとの人生を引き受けられるかどうか、それがその当人にとって重要なはずだ。

んで、結構どうにでも引き受けられる。生きているということが引き受けていることの証左。

 

考えすぎて、先を見過ぎて失敗した感のある僕から見たひとつの人生論です。

まとまりはありません、スミマセン。

 

【Moca】カレンダーの月別ページに、週間天気を一覧表示したい!

その他 農業

農業やってる人はみんなそうだと思うんですが、1日で天気予報を最低でも朝晩2回は見るようになると思います。それぐらい予定が天気で変わるので、重要なことなんですよね。

そこで、スマホでの天気チェックは、いつもウェーザーニュースアプリかヤフー天気のアプリを使っていました。これはこれで便利なんですが、もっとよく使うカレンダーのアプリに一覧表示できたらなんと最高だろうとずーっと思っていました。

 

ちなみに、いつも僕が使ってるアプリはMocaというアプリ。3年ぐらい前から使ってますが、使いやすすぎたので速攻でお金払って広告を外しました。カスタマイズもしやすい。

月特化カレンダー Moca

月特化カレンダー Moca

  • aill, k.k. (JP)
  • 仕事効率化
  • 無料

 

 

そしてこれを使って、天気の表示が、できました。

参考にしたのはこの方のページ。

iPhoneのカレンダーに「絵文字で」天気予報を表示する方法(無料!) - alglab.net

 

↓ 結果

 

いつもの画面

 

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そこから天気挿入 ↓

 

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 おおぁぁ~パッと見ですぐわかる~すんげぇえええーーー

 

これほんともっと早くやっとけばよかった、と興奮したのでご紹介しました。天気はライブドアの天気を使用しているそうで、まぁエリアはそこまでスポット天気ではなくて、いわゆる気象台?があるところのデータのみです。画像に表示されているのは千葉市の天気。でもざっくりとでも、1週間後までの雨予報と気温が分かるだけで、かなり予定立てがはかどります!もちろん天気予報も随時更新されて、常に1週間後まで表示される状態です(設定とかによるかも)。

このカレンダーだけでワンストップで予定が見えるようになってとてもうれしいです。「Moca」と共にこの方法ぜひおすすめします。あまり広がりすぎるとサーバーが落ちるとかの話なのですが・・・。個人的には500円、1000円ぐらいでもお金払うレベルですというぐらい便利になりました。

 

このやり方を教えてくれたalglab.netさんには今度Amazonでアフィリエイト踏んで買い物させてもらおうと思います!ありがとうございました。

 

ちなみにMocaで

天気をその日の一番上にしたり、予定の表示の優先順位を決められる方法をご存じの方いましたら教えてほしいなぁ。

 

おせち料理の縁起物に「縁結び」を入れてくれ!

男女・結婚 孤独と貧困

あけましておめでとうございます。

このブログも1年半ぐらいになります。ダラダラと続けてきましたが、結構ライフワークのひとつになっています。なるべく積極的にネタを探して書いて、としていけばいいのでしょうがいかんせん、まずそこまでのモチベーションもなく。

基本的に雑記ブログとして読んでください。

 

さて、おせち料理ですよ。食べましたか?そんなの食べるわけねーじゃんという孤独な男に向けて書いています(笑)。

 

御節料理 - Wikipedia

 

子宝、出世、五穀豊穣・・・。

孤独なフリーターからしたら別世界の話に思えます。子宝なんて、その前に出会いとか縁結びの何かを入れろ!と言いたくなりますね、この世代の人間としては。数の子食べててもなんかむなしくなりますもんね。おいしいんですけど。

とまぁこういう昔からのものにそんなの言い出したらキリがないんですが、現代はかなり作る人も減ってそうです。都会の人なんて、ほとんどスーパーやネットなどで頼むんじゃないでしょうか・・・

 

そういうわけで、これを読んだ電通の方、おせち料理に「縁結びの料理」を含めた新しい現代おせちを広めてください!そして夜10時には汐留のあのでっかいビルを出ましょう。

(電通ビルの周りをぐるっと取り巻いていた個人タクシーの人たちは今どうしてるのだろうか)

 

今年も生きのびるぞ!

来年からいよいよ就農。稼ぐぞ

その他 農業

今年1月1日の記事。

 

この記事の頃から考えると、あっという間に1年過ぎたなぁという感じだ。それでも、無為に過ごしたという感じは無くて、少しずつだけど1歩1歩進んでこれたと思う。

 

来年4月から、合計50aの農地を借りられることになって晴れて農業者としてスタートできることになりそうだ。今年はその準備期間と思ってフリーター農家として過ごしていたが、当初こっちに引っ越してきたときからするとかなりタイミングよくことが進んで、本当に周りの人に感謝したい。来年こそ、飛躍の年にしたいと思う。収穫時期までは今の警備バイトと掛け持ちになると思うが、頑張りどきと思って乗り切るつもりだ。

 

そして生き延びられたことを自分でほめたいと思う。メンタル面ではそこまで強くなったり変わった点もなく、先日も久しぶりに自分を責める癖が出てしまって変な年越しになりそうだった。

でも今年は、師匠に年末の挨拶をする際、素直に感謝の気持ちでお酒を渡せた。去年は結構それを自分で考え込んでしまってなんか不自然な挨拶になっていたような気がするが、今年はなんとなく心境が変わったようだ。

 

農業経営について師匠に言われたのは「天候の悪いときに、それを理由にして不作だというのはプロではない。そういう時に通常に近い収量を出すのがプロだ。天候の良いときには通常より尚良い収量を出すこと」ということ。今年日本がそうだったが、野菜が高くなった時期に平年に近いぐらい出荷できた農家はガッチリ儲かっているはずだ。もちろん自然をコントロールできるわけではないが、そういう風に肝に銘じておき、できる限りのことを栽培に投じるつもりでいよ、ということと心得ておこうと思う。

 

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このブログに関しても、ある程度農業系の記事を自分なりに考えられることができてよかったと思う。収益についてはあくまで副次的なものだと考えているが、アドセンスを貼って1年ぐらい経って、はてなブログプロの料金を払って少し黒字になるぐらいまでにはなっているようで、ありがたい。でも、アクセスが多いのは総じて農業系以外の記事なんですけどね。それもまた面白くて、勉強になる。

 

それでは軽トラを洗車してきて、警備のアルバイトをして年越します。

 

ずっと読んでくれた方ありがとうございました。

みなさんが良い年を迎えられますように。

 

 

やはり農作業はうつに効く。理由を自分なりにも考えてみた

精神・自己受容 農業

univ-journal.jp

今まで科学的な根拠はなかったらしいですね。たくさんの研究結果を集めてそういう結論になったそうです。東大の人が言うんだから間違いねぇだろ。農業とは書いてなく「ガーデニング」とありますが。

 

僕が1年ちょっと実際に農作業をしていて、確かに、落ち込んだり「なぜ自分はこんなにダメなんだ・・・」という自分いじめみたいなものが少なくなったなと思います。その理由というか感じたことを自分なりに考えてみると、以下のようなことが言えます。

 

植物は、生きて、子孫を残すことしか考えていない。それが自分の生命の古いDNAか何かを刺激している

これが今もつくづく思うことであります。

栽培している作物もそう、そのまわりに生えている雑草もそう。太陽と水でグングン「伸ばせ伸ばせー」と。涼しくなってきたら「種つくれー」と。それの手助けをするのがガーデングであり植物の栽培なんだと思います。

雑草とは競争。知ってますか、背の低い植物でも、周りを背の高い植物に囲まれるとそれに負けないようにびよーんと茎をのばすんですよ。少しでも太陽の光を浴びて光合成しないと、負けて大きくなれないし子孫も残せないから。

それを、こんなブログで書いても伝わらないと思います。目で見て目の当たりにするというか、実感するとわかります。生命力があふれ出ているんです。「おいおいそんなに伸ばすか?昨日刈ったばっかりだろ」と。そういう経験をしていくとなんとなく、「俺も自己対話ばっかりせずに生きることをひたすらやるのもいいかな」という風にスイッチするんですよね。

もちろん、落ち込むこともあります。昨日も暴風雨でしたが外に出るのが億劫になって、久しぶりに自己対話を深くしました。「自分を好きになるには」とか。

でも外に出て作業をすると、不思議とそれを忘れて、その植物と無心になって向き合えるというか。「ああ、体力がずっと続くんならこのままずっと作業してれば健全だな」と今日改めて思いました。

僕には子供がいませんが、おそらく自分のお子さんをお持ちの方もそういう生命力や向上心や成長が、親である自分の生きるパワーになったりするんじゃないでしょうか。たぶんそれと同じことだと思います。

 

 

 過去記事

blog.bosobosoboso.com