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元タクシー運転手から泥沼にハマった男のブログ

30代元タクシー運転手が農家になる途中

精神疾患の回復に農作業なんていいのでは?

精神・自己受容 農業

d.hatena.ne.jp

 

シロクマ先生のブログはたまに読んでいて、自己肯定感とか自己受容について考え込んでしまう僕にとってはすごくためになります。今回の記事は、重度の精神疾患やうつ病などの人ではなく、そこから回復期の人やその周りの人に向けての話です。

作物や植物、自然というのは人間の思うようにならない気がする

さて、僕はこちらに来て少しの間知り合いの農家の農作業を手伝っていたのですが、ずっと「農作業は心が休まるなぁ」という気がしていました。もちろん肉体的にはハードです。でも精神的にはとても楽でした。無心になれるのです。神経症の気があるので、それに効いたのかもしれません。そもそも、タクシー運転手をしていて気疲れが過ぎた結果こちらに避難してきたような情けない僕。人に気を遣わないで済むというのは僕にぴったりでした。特に自然の中でする作業はとても心にいい気がしているんです。なぜだか分かりませんが、自律神経にいいという話も聞きますし。

ひとつ感じることがあります。農業って人の手を加えて思ったような作物を収穫するのが仕事です。思うように操作しているとも言えるかもしれません。しかしそれ以前に、作物は勝手に育ったり勝手に枯れたりするものなんですよね。人間がやっているのって付加的なものというか、彼らにとって要らないものかも知れない、という風に感じるときがあるんです。それに天候に影響されます。お天気はまさにどうにもなりません。ハウスぐらいですよね。植物も、動物も天候に素直です。例えば元々ソメイヨシノなどの桜の開花は、天候が分かりやすく春の訪れ(=農作業始めましょうの合図)が分かりやすいのです。桜だけでなくその土地土地で、あの梅が咲いたら、あそこにあの草が生えたら、などというのが目安になっているわけです。いろんな気候データなんかより、こっちのほうが信憑性があるし、あの鳥が田んぼに来たから水の状態がこうで、虫がいるということは土の状態がこういうことか、などということがすごく確実性をもって感じるわけです。

人間も動物も植物も同じ社会なんだと気づく

そういう状況に囲まれていると、田舎、特に農家など自然の中での暮らしは東京での社会と全く違う社会が形成されている気がします。もちろん近所の人付き合いもあるでしょう、面倒くさい会合もあるかもしれません。でも、特に自然を相手にしている人の間では、無意識の中で「われわれも結局自然の一部だ」という認識がある気がします。どれだけやっても人間の思うようにならないこともあるんです。そういう意味では、同列です。

そしてそういう環境って、特に人付き合いに関して疲れた人には癒しの作用があると思います。癒しというか、これも社会だなと気づかせてくれる作用がある。視野が広がる。無心になれる。

ま、僕だけかも知れませんが同じような人で助かる人いっぱいいると思うなぁ。自然に対しては抗わなくなるんですよ。たぶん自分にも。

虫は抗うから嫌いになっていただけだった

虫も動物も生きようとしているだけなんだなぁと心から実感できたら、僕も全く怖いものではなくなりました。それに気づけば、虫の多さなんてすぐ慣れますよ。社会ですから。人間も虫も同じ社会に生きている、ただそれだけです。毒を持って攻撃してくるのは、敵だとみなされているからなので、そのときは対決するか、折れて逃げましょう。人間社会でもそうでしょう?