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元タクシー運転手から泥沼にハマった男のブログ

30代元タクシー運転手が農家になる途中

孤独な人間である父親が、「人のために何かしたい」と言い始めた

孤独と貧困

僕の父親は孤独な人だと思う。友人がいるという話も聞いたことがないし、実際見たこともない。近所付き合いもほぼしていない。回覧板が回ってこないこともあるらしい。僕の実家である家で一人で暮らしているが、父の実家である家(僕にとっては祖父母の家)には、祖父母が亡くなってからはほとんど帰っていないようだ。

会社員でいた時期が少ないために年金もさほどもらえない老後を、どこでどのように暮らすかずっと考えているようだが、どうやらまた別の場所で一人で暮らしたいらしい。とはいえ僕も正直、父親と一緒に暮らすとなるとかなり億劫である。たまに僕が実家に帰っても、滞在2日目で何となく軋轢が生まれ始め、3日目には面倒くさくなって早く帰りたいと思ってしまう。お互いに頑固でわがままだからだろう。

世間から見れば、子供が親の世話をするのが当然だと思われそうだが、今のところ僕は見て見ぬフリをしているのが現状である。

 

***

 

そんなときに、「精神的な貧困」という言葉が入った記事を見た。

nikkan-spa.jp

「じゃあどうすれば?」

この記事では、「他人志向にならず、自分だけで楽しめる仕事以外の趣味や生きがい、人的ネットワークを持つことが大切」という話だった。内容自体は、「モーレツ社員が定年するととたんにボケる」とかいう話と一緒で、特段に新鮮味のある内容ではなかった。「自分を愛するには、自分を受け入れればいいのです」という言葉を聞いたのと同じような感覚。

「じゃあ、どうすればいいのか?」という話だろう。定年後に趣味を持ち始めようとすると挫折するから、定年までに趣味を持とう!ということだろうが、なかなか簡単ではないはず。趣味って、作ろうと思って作ると「それは趣味なのか?人生の暇つぶしという意味の趣味だよね?」と感じてしまうのは僕だけだろうか。そう感じてしまう自分がむなしくなる。

 

「人のために何かする」ことが自分の心に作用する

以前の記事でも書いたことがある。

ある一人暮らしのおばあちゃんが、自分で買った果物を孫に贈るという場面でおばあちゃんが言った言葉。

「あげるんじゃないの、もらってもらってるの」。

このおばあちゃんは、孫のためでもあるが、そもそも自分のために、孫ものを送っているということを自覚している。それが自分の生きがいであることを認識している。この、「他人のために何かしている自分、それを認識している」ということこそが「精神的な豊かさ」ではないかと思う。「果物贈ってあげたんんだから感謝しなさい」というのでは、やはり心は貧しいということになるだろう。

あの父親が「誰かのために何かしたい」

父親の話に戻るが、父親は内向的で本を読むのが好きな人だ。現役で自営業をまだしているが、休日はといえば市内まで出て、献血に行って中央図書館に行くということが多いそうだ。

他の人との社交は好まない人だと思っていた。仕事以外ではもちろん、仕事中ですらあまり関わりを持たないようにしているように見えていた。帰省したときに、そんな父親と未来の話をしていたら、父はこう言った。

「年金もらって、少し仕事して、本を読めて最低限の生活ができたら、あとの残りは、誰かのために人のためになることをしたい」

以前タクシーのお客さんのとの会話の中で「歳をとったら社会に還元だ」という話を高齢の人から聞いたことがあった。そういう人は大抵穏やかで、出来た人だなぁ、と感じた。まぁ確かにそういうとこが人にはあるのかな、とも思っていたが、まさかあの偏屈で内向的なはずの父親の口から出るとは思わなかった言葉だったのでびっくりした。世話をしていたペットが数年前死に、その後は一人で暮らしていた父がたどり着いた境地なのだろう。

消費より生産ということを、東京から田舎に来た今深く感じている。何か買ったり食べたりしているだけでは、それはつまらない人が多いのではないか。子供を産んで育てるというのは大きな生産行為のひとつである。

 

独身の人が書いてた増田も最近読んだところで、それとも今リンクした。

anond.hatelabo.jp

 

子供を育て上げたら(僕のような子供であっても)、それ以外に力の注ぎ先を見つけようとする人間の本性が、父親から見えた気がした。それが身近な人物だったので、実感が湧いたところだ。

何をしたいとか、具体的にあるのか無いのかは知らないけど、「それは素晴らしいことだね」とでも言ってはおいた。さて今後どのように変わっていくか。いい人生の教科書ができたなと思った。

 

***

 

その話と、僕が父親と暮らすかどうかは別問題なのだが。感情というのは簡単に変えられないものだ。僕のほうが見て見ぬフリをしていることも否めない。でも僕が逆の立場でも、一緒に暮らすほうが嫌な気がするのだ、息子と暮らすなんて・・・。これは親子ということか、ただの子の甘えか。

 

blog.bosobosoboso.com