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元タクシー運転手から泥沼にハマった男のブログ

30代元タクシー運転手が農家になる途中

吉田修一『怒り』を読んでのレビュー:「ホーム」はどこにあるか

都会と地方 精神・自己受容 孤独と貧困

 

怒り(上)

怒り(上)

 

  

怒り(下)

怒り(下)

 

 

 

大学4年の2月、受ける授業や試験が全て終わって地元から東京に出てきたときに、最初に住んだのが新宿の百人町だった。インターネットでルームシェアの掲示版を探し、そこからたどり着いたのが大久保駅近くの雑居ビルだった。その時点で就職が決まっていなかったために、とりあえずシューカツをという名目で東京に逃げてきたのを覚えている。本当に就職したくて上京したわけではなく、ただ現実から逃げるためだった。もちろん食っていかなくてはという思いがあったのは確かだが、片足でも踏み外していれば実家でニートだっただろう。それを思えば、今の不安定な状況でもよく自活していると思いたい・・・。

新宿区百人町は、職安通りという大通りを挟んで歌舞伎町の斜向かいにあたる。タクシーを経た今考えても、東京の中でもかなり混沌とした場所であるなと感じる。

僕がそのルームシェアをしていた雑居ビルの一室も、色んな人間が住んでいた。オーナーは人を殺してもヘラヘラしそうな目をした軍事マニア。同居人には、同学年の新潟出身の小太りのホスト、インド帰りの目がらんらんとした女性、練馬区ナンバーエリアに住んでいるのに品川ナンバーにこだわるバイク乗りの沖縄人。その沖縄人にある時連れられて行ったラーメン屋が、今思うとそのとき人生で一回限りのラーメン二郎だった。

後で聞くところによるとその雑居ビルの一室は以前、デリヘル嬢が指名が入るまで待機する部屋だったらしい。とりあえず住むための建物ではなかったことは確かだ。オーナーである軍事マニアとよく行った、如何わしい雑居ビルの上にある健心流というお店が歌舞伎町の中でも知る人ぞ知る名店なのは、後になって知ったことである。

 

***

 

そのときの光景・・・というよりも匂いに似た雰囲気というべきか、歌舞伎町にコマ劇場があったときの、横のシアターアプル前あたりのファーストフード店の油臭さや喧騒が、ふと今回読んだ小説『怒り』を読んだ最後のほうで思い出された。

ある程度いい子ちゃんで生きてきた幼少時代・青年時代を経て、今エラいことになってる自分。この先どうなるのかというビビりと共に、ある種の「俺はこんな変なことをしているぞ」「変人だぞ」という自己を顕示したい欲があったことを覚えている。フワフワしていて、身分がどこにも定まっていなかった。何より物理的な「帰る場所」が無かった。今も無いけど。そんな自己しか、顕示できるものが無かった。それほどスカスカの人間だった。今もだけど。

 

この小説『怒り』には3人の男が出てくる。その3人の誰かが指名手配されている殺人犯であり、最後までそれが分からなくなっている。とはいえこの記事でネタバレのようなことは避けたい(おそらく今後映画化されるのが決まっているので、それも楽しみにしたいし)。

 

「ホーム」はどこにあるか

3人の男は共通点があり、いずれも何か知られたくない過去や、引きずっている負債があることだ。そのうちの一人は指名手配の殺人犯である。僕はそれ以外に共通点を見出そうとした。おそらくいずれも帰る場所「ホーム」がない。殺人犯であることもそうだし、その他の事情があって、帰る場所がない。それは読んでいくうちに明らかになっていくが、そのことに僕は痛烈に共感してしまった。

数年前、僕が実家に帰ったときに中学時代の友人たちと会い、「ホームがどこにあるか」という話になった。そのうち一人は地元に家を建てたばかりというタイミングだったこともある。「お前はもちろんその新築マイホームが帰る場所だ」と。別の友人には「名古屋で学生時代から社会人までずっと生活しているお前は、名古屋がホームだろ?」と(その後名古屋で結婚もした)。

「俺は確実にここ(地元)ではない。でも東京にもホームはない。」とそういう話をした。なんか文章で書くとエラそうだが、寂しかったのだ。

東京に戻って山手線に乗れば、借りているアパートに帰れば、そりゃ「帰ってきたな」という気持ちにはなる。でもそれとは違う。安住というのか、心がそこに《鎮座おわします》ことができるかどうか。そういう場所が、映画に登場する3人には無かったはずだ。その不安感に僕は心の底から実感したし、それをかくまってくれる3組の家族や周囲の人たちに対して、本当にありがたかったと思う。

 

「ホーム」が無いことが、信頼感の構築を阻害する

しかしその周囲の人を信じてはいけない。「簡単にこの人を信じてはいけない」というリミッターが、無意識にでも働いていたとは思う。それは僕の現在の生活でも同じようにあって、なるべくなら人に頼らず生きていきたいという願望がある。頼ること自体が自分の負債になるのはいやだし、信じた結果自分が傷つくのを恐れているという部分もあるだろう。

さてこの小説、その3人の視座からは一切文章が書かれておらず、その取り巻きの人からの視点でしか書かれていないのがミソだろう。「信じるということは相手の立場になるということ」というのがひとつ言える気がする。

この小説では「信じる、信じぬく」というのが大テーマだ。舞台は新宿・房総の漁港・沖縄とそれぞれ飛びまくるが、常にその現地の人たちからの視点で、どうあってもその3人の男からの視点に移ることはない。つまり彼らの立場には立てていない。それだけの信頼が築けていない。最後までこの視点が移らないことが、それぞれ「信じる」ということの難しさを小説全体として表している気がした。

それは彼らに「ホーム」が無かったのが元凶な気がする。信じないから信じられることもない。

 

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最初の自分の話に戻って余談だが、新宿という町は「ホーム」が無い人が多い気がする。もちろん「新宿区」という意味ではなく、あの歌舞伎町・大久保駅界隈である。また西新宿も住居エリアとしてはカオスかもしれない。高層マンションもあるが、その中にはどういう人物が住んでいるのかすごく興味がある。

百人町に住んでみても思ったし、タクシーで流していてもすごく思った。昼間、ホストとキャバ嬢・風俗嬢らしき男女がスッピンジャージでフラついているというのは歌舞伎町周辺ではよく見られる光景だが、すごく寄り添って生きているなといつも感じていた。

西新宿の名前の知られたタワーマンションには、同じく水商売の人も住んでいるし、それ以外の人ももちろん住んでいるだろう。落合から、子連れのスーツ姿の男性客を乗せて、その近くの保育所に子供を預けに行ったこともあったな。その近くにできる予定の60階建ての都心最高層マンションにも水商売のNo.1ホストが住むのだろうか。はたまた中国の富裕層か。

 

歌舞伎町の1時過ぎによくあった光景だが、水商売の人がタクシーに乗り込み行き先を告げるなり、異性であろう相手に深夜関係なく電話をかけ始めるシーンは本当に多かった。それは客相手だったかも知れないし、どうでもいい仲だったかも知れないが、そうでないように見えたことも多かった。よく言えば「絆」である。その絆が細いものなのか太いものなのかは運転席からはよく分からなかったが、当時から孤独感の中に生きていた僕としては、そこはかとなく羨ましかった。

彼ら彼女らはどこに帰るんだろう。孤独を紛らわせているだけの電話かも知れない。でもタクシー内で話せる相手は、いる。

 

***

 

僕は常々、「理屈は感情に勝てない」ということを感じる。「信じる」というのは理屈だと思う。「あんたを・・・オレは信じる!!」とわざわざ伝えたりするのは、たぶん理屈によってである。「信じるかどうか考える間もなく信じてた」と後で分かるのが、感情によって信じていたということである。この『怒り』という作品で出てきた人間同士の関係は、明らかに期間が短い。長くて数ヶ月か。「信じたほうがいいから信じる」という、理屈によっての信頼だっただろう。おそらくそれでは信頼関係や絆というのは築くのは難しいという表れではないだろうか。

話の最後にひとつ、泉という女の子が自分の母親に、起こった事件についての真実を伝えるシーンがある。泉とその母はこれまで転々と住居を変えており、いわゆる「ホーム」が無い種類の人間だと思う。沖縄では確実に「移住者」のくくりだっただろう。そんな人生を十数年すごしてきた母娘。決心して話をする娘に対して、スッと母が受け入れ、泉を守る姿勢を見せる。それに泉もホッとする。他にも家族は出てくるが、ちゃんとした信頼関係を築けていたのはこの母娘だけだったということかな、と感じた。そしてそれは「場所としてのホーム」が無い二人でも、それまで二人で築いてきた時間があるから、その親子関係自体が「ホーム」になりうるのかなと感じた。

また、他人を信じられるかどうかというのは、自分を信じられているかに比例するとも思える。自信を持って過去を過ごしてきた人は、相手のことを信じていいかという問いを自分にかけ、その答えを「信じる」ことができる。3組の親子・家族を見ていると、一番その信じることができているのが泉親子だったように感じた。

 

***

 

時間が経過しているだけで、信頼できない関係が信頼できる関係に昇華することもあるのかもしれない。もちろん濃さもあるとは思う。時間×濃さで信頼関係の強さが決まるとすれば、新宿大久保の信頼関係はうすーいものなのか。ただそのうすーさに人惹かれて集まっているような部分もあるから、面白いものだ。そしてそこで経た時間も大切で・・・

映画化あり

房総の漁港が舞台になっていると書いてあったが、実際にどこかは分からない。外房の漁港といえば、大原か勝浦か・・・。モントリオール映画祭で深津絵里さんが女優賞を受賞した『悪人』も吉田修一原作×李相日監督の作品だったが、今回もまた同じコンビで映画化が決定したとのこと。小説としては舞台があっちゃこっちゃにすぐ飛ぶので最初は読み辛かったが、おそらく映画化されたときのシーンを考えて舞台を移ってたな?と思うぐらいであった。映画にぴったりの情景が描かれること間違いなし。『悪人』では「善と悪」(真のテーマは「孤独」だと個人的に思っているが)を見事に描いてくれた李監督が、こんどは「信頼」「不信」をどう描いてくれるかが楽しみである。

 

 

(追記8/21)

キャスト発表されました!

『怒り』の映画キャストが発表されてた。(2016年秋公開予定、李相日監督) - 一寸先は濃霧警報

 

(追記2016/8/27)

記者会見&予告編出ました!

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