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元タクシー運転手から泥沼にハマった男のブログ

30代元タクシー運転手が農家になる途中

「好きな絵を描きましょう」と言われて描けない人生

精神・自己受容


たまに増田でよく見る、アラフォーの虚しい自分語り。いつも虚しく、悲しくなる。自分の将来を重ね合わせてしまう。
 
そんな中、トップブコメがかっこよすぎた。
 
40歳。なんかつらい

この人のやっていることには"趣味"を感じない。人生はそういうスタンプラリーじゃないんだよ。

2015/08/26 10:09

b.hatena.ne.jp


 
スタンプラリーというのは、しっかり働いて、結婚して、子供を育てあげて、海外旅行もして、ということを、スタンプを押すチェックポイントのようにクリアするイベントとして捉えていることを言っているのだろう。
 
「Life is art」の気持ちを持っていれば、このような消化型人生にはならないのだろう。楽しみを見つけたり作り出すことはアートだ。言い換えれば生み出せない人は虚しい人生になるのだろう。
 
僕は子供の頃に「好きな絵を描きましょう」というのが本当に嫌だった。言われたことだけはハイハイ聞く、手のかからない子供を演じていた僕にとって「白キャンバス」というのは、ドラクエ5で子供時代にゲマと戦うぐらい脅威の敵だった。皆が思い思いに描く中、ひとり置いてかれてお尻の穴がチーンとなる感じ。いつしか、それから逸れようとせずとも逸れてしまいつつある人生を歩んでいるけど、これからも白紙から趣味を生み出すようなことは苦手だろう。自分に対する感覚が鈍いのかな?
 
 

人のために生きること

それとは別で、多分これを書いた主は僕に似ていて、人のために何かすることが自分の喜びに直接結びつかない人なのだと思う。人のために何かすることが、有償で見返りを求めてやっていたのではないか。
「あげるのではなく、もらってもらっている」このブログでも何回か取り上げたおばあちゃんの言い草だ。
 
コメントの中にもいくつかあるが、人のために生きることが幸せの最終形態なのではないかというのは、あの頑固な僕の父親の最近を見ると感じることではある。それが「人のためにしたいからする」ことが重要で、「他人に、人のためにしてると思われたい」となると、結局自分の為だけに生きてることになるから、やはり虚しいのかもしれない。
 
でもそれさえ、他人にとっては「やらない善よりやる偽善」。世のためになっているのかもしれないから、一概には悪口は叩けない。