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元タクシー運転手から泥沼にハマった男のブログ

30代元タクシー運転手が農家になる途中

9月1日非登校問題 「ようこそ大人の社会へ」というふところ

精神・自己受容 孤独と貧困

トピック「図書館」について

 

anond.hatelabo.jp

 

 はてブで最近よく目に入るのが、夏休み明けの9月1日に若い子供の自殺者が増えるというニュースと、死ぬぐらいなら学校なんて行かずに図書館にサボりに来ていいよ、という話題。

僕もこれはまさにそう思っていて、大人から見ると学校なんて社会の一部だから行かずに図書館でもどこでも逃げて生きていれさえすればいい、と、「大人の今だから」思える。ただ、子供にとっては学校が社会の全てなので、いじめにあっていたりすると、世の中にある会社全てから「キミは役立たずだから来なくていいよ」と言われているのと同義であることが、大人になった今からだとあまり思いだせないのが問題ではある。どれだけ子供に寄り添えるか。

僕は特別いじめにあっていた経験はない。だけれど小学校4年生のときにすごく死にたくなった記憶だけはずっとある。それがなぜそう思ったのかを覚えていないぐらいささいなことがきっかけだったのだろうけど、逆に言うとそれぐらいのことをずっと覚えているのだというのが子供心の敏感さ・繊細さを表しているともいえる。

実際、図書館に9月1日の日中にいる子が不登校気味なのかもという想像が働くのは、一般的に自分もそういう時代を過ごしたという大人にしか分からないだろう。発端のツイートをした図書館の方も、過去そういう経験があったとのこと。教育関係者などでなければ、過去の自分に重ねあわせるということでまず子供の置かれている状況を想像するはずだ。図書館の利用者が全員いじめられた経験があるのならいいのだが、そうはいかないのが社会だ。その辺をうまく子供に伝えられるか。

どれだけ大人が懐を深く持てるか

ひとついいのかなと思うのは、「ようこそ、大人の社会へ」という懐を大人が持つべきではないかということだ。大人から見て、学校は大人になる前段階のものである。だけれど子供にとっては学校は社会の全てである。そのギャップを解消することが一番大切で、それには、いっぱいいっぱいの子供に対して、余裕を持った大人が迎えいれるべきだということだ。大人になったら世の中には変な人がいっぱいいるし、変なコミュニティもいっぱいある。それを伝えて子供の気が楽になるなら、それに越したことはないはずだ。あんな画一的な場所は大人になってからはごくごく一部になる・・・。早めに大人になったのだね、という気持ちを持てれば、お互いに尊重できて誰も傷つかないのではないかなと感じる。

声を掛けてもいいし、そっと見守ってもいい。でもそれを子供としてではなく大人として接してあげれば子供も居場所が無くなるとは思わないのではないだろうか。

実際の親御さんや教師はそこまでの余裕は持てないだろう。学校に行かないことが、その後の当該生徒の不幸に直結すると思ってしまうのも当然だと思う。そこで町の変なおっさんが心の救いになったりする。そういう変なおっさんに私はなりたい。