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アドラー思想が、アラサーでタクシー運転手をして身についていた

精神・自己受容

気がする。

気がする程度です。しかも少しだけ。

 

今更ですが、アドラー心理学についての本を読みました。2014年のベストセラーになっていたんですね。『嫌われる勇気』という本。

今回、嫌われる勇気は立ち読みでざっと読んだだけで、しっかり読んだのは別のマンガ仕立てになっているこちらの本だったんですが。

アドラー心理学 ―人生を変える思考スイッチの切り替え方― (スッキリわかるシリーズ)

アドラー心理学 ―人生を変える思考スイッチの切り替え方― (スッキリわかるシリーズ)

 

 

そしてネットを見ていると、たまに読むゆうメンタルクリニックのマンガにも、この「アドラー心理学」をテーマにしたマンガがありました。その中でもこの回、

の中の「人間のレベル」の話に結構僕の感じたことと同じことがあったので、今回記事にしました。リンクもぜひ読んでみてほしいと思います。

 

 

底辺と言われる仕事に就いて

僕は4年程度、東京都内でタクシーの運転手をしていました。いろんなお客さんを乗せて、いろんな経験をしましたが、通して一番いい経験だったのが、みな社会の一員なんだな、とある程度腑に落ちて思えるようになったということです。

人を階層で分けるという意味での「底辺」なんて言葉は、普段インターネット上でしか使われませんよね。しかも人を中傷しているときは匿名のことがほとんど。他には、貧困層を何とかしようと思っている人なんかが文脈で使うことがあるぐらい。しかしタクシー車内という密室では、直接言われることもあります。僕は1度、歌舞伎町で乗せたお客さんに言われました。「この底辺が!」。根に持っているわけではないんですけど、車内タバコも断ったのにムリヤリ吸われて、忘れられないお客さんです。ま、お酒が入ってましたから。

そのほかにも、お客さんと身の上話になり「大学出てんの?大学出てなんでタクシーやってんの?」という言葉をかけられることはよくありました。その言葉の中に「なんでタクシー(なんか)やってんの?」と、後部座席の見えないお客さんの口元が半ニヤケになっているように感じることも最初は多々ありました。

始めてから気づきましたが、僕はタクシーの運転手がここまで社会的に蔑まれる職業だとは思っていませんでした。タクシーをやる前、フリーターだった時にもある程度肩身が狭い思いをして過ごしましたが、それよりさらに強い風当たりを感じたことを覚えています。

ただ、僕はタクシーを始めるまでは自分の思うように生きておらず、「(社会的に)まともな仕事につくべき」が強すぎました。他に特別やりたいと思った仕事もありませんでしたし、職歴もまともにありませんでしたから。ただ、以前大学卒業と同時に東京にきて就職活動をしているときに、ふと新宿百人町の靖国通りで「タクシーの運転手って面白そうだな」と思ったことは覚えていて、そのときの直感も信じて業界に飛び込んだわけです。

結果的には仕事自体は自分に合っていて、それまでの人生で一番長く続いた仕事でした。なのでそのときの勘は当たっていたと言えるのですが、事故が怖くなってしまって思うように運転できなくなったので辞めさせてもらいました。

 

仕事が合っていたこともそうですが、さまざまなお客さんと接して、体感としての経験になったことがあります。

それは、結構みんな考えていることは同じということ。見栄を張りたい、エロい、自己都合で勝手に生きているということエロいのは性的なことに限らず、カネや権力とかも根っこは同じだと思います。男女問わず。そしてみな人間関係に悩んでいる。

ごくまれに賢人のような大きい器の人もいたように感じましたが、そういう人には僕も甘えてしまったように思います。

 

最初は劣等感がすさまじかった

元々自己肯定できていなかった僕は、今でもゼロになったわけではありませんが、当初はもっと強い自己否定や世間への劣等感が強い人間でした。先ほどの、お客さんと接していた感じた「自己都合で勝手に生きる」ということができていない人間でした。

失業明けでタクシーを始めた当初は、まずお金に困って始めたこともあり「とにかくやらねば」という思いだったことを覚えていますが、やはりその劣等感は根強く残っていました。

最初の頃は、土地勘があるほうであった新宿、池袋、渋谷を中心に走っていましたが、港区、千代田区、中央区とだんだん都心へ入っていくようになります。

「大丸有エリア」なんていう言葉があります。「大手町、丸の内、有楽町」周辺エリアをそう呼ぶそうで、タクシー運転手の同僚の間ではあまり聞いたことがありませんでしたが、八重洲側を含む「東京駅周辺」と比べてきれいで都心的なイメージが分かりやすい分け方です。

そのエリアで、特に同世代のビジネスマンに乗ってもらうのがすごくストレスでした。ビンビンにアンテナを立ててしまい、自意識過剰になっていました。あの狭い密室で自意識過剰になるのが結構しんどくて、最初のころはすぐに回送にして休憩していたのを覚えています。

何が自意識過剰だったかというと、素直に言って「この大企業に勤める優秀な男と、それを乗せて運ぶ運ちゃんが同世代」という、他人との比較と自己卑下だったと思います。その人が大企業に勤めているかどうかも分からないのに。しかもタチの悪いことに、「若い運転手だから何か事情があって運転手やってんのかな?と思ってもらえるかも」のような、そのストレスから逃げるための甘えの気持ちもあったように覚えています。

 

だんだん、思い込みが薄れていった

そんな色んなお客さんを乗せる中で、同世代でも色んな人がいることに気づいていきます。大手町のピカピカの同じビルから出てきた同じ世代のスーツ姿の男性でも、すごく優しかったり気さくな人もいれば、オラ運転手よぉ、という人もいます。また同じ歌舞伎町のホストでも、すごく丁寧な対応で「おつり取っといてください」と言ってくれる人もいれば、すごくぶっきらぼうな人もいます。接客業ならそういうこと日常茶飯事ですよね。

そういう人が入れ替わり立ち替わり入っていく車内で、

「あれ、今日やけにヤな客多いな」

とか思うことが何度もありました。それは、後からだんだん気づいていったのですが、僕自身の気分が影響していることも多々あったのです。「嫌なお客さんだな」と感じると、その次に乗ってもらったお客さんにも暗い対応をしていたりして、自分の気分を引きずっていたのです。それに気づき始めたころから、最初に書いたエリートビジネスマンへの嫉妬心のようなものも、段々と薄れていったのです。結構自分の気分が相手の反応にも影響するんだ、と気づくと同時に、世の中には役割分担があるだけだ、と思えるようになったんです。徐々に、徐々に。

 

***

 

こんなことがありました。東京のちょっとはずれのほうで乗ってもらった若い男性客。聞けばテレビ局関係のいわゆるADさん。急ぎで都心のほうまでということで首都高を使って送ります。同じ世代ぐらいということで話が進み、途中、お仕事の話になりました。

僕「ADさんってテレビでよく見ますけど大変なんですよね、ディレクターさんとか体育会系なんですか?やっぱり」

客「そうですねー、無茶苦茶をいう人ですよー。そう、ディレクターって、ただ無茶苦茶言うだけの人です・・・」

そう言って、丸二日まともに寝ていないんだという話のあと、束の間の移動時間も眠りに当てられていました。テレビ局関係は他の業種と比べると比較的タクシー代も経費で落ちることが多いようで、その時間帯ではありがたい運賃をもらいました。

 

 ***

 

またこんなこともありました。夜のお仕事が終わった中年のサラリーマンのお客さん。車内では生々しい給料の話になりました。タクシーでは一日の売り上げを言うと大体年収も分かるような仕組みになっていて、「じゃあ年収換算で計算すると○○円ぐらいか?」と詮索されるのも面倒臭くて、いつも聞かれると収入を素直に話していましたが、そのときは

僕「そうですねー、去年の年収で○円ぐらいですかねー。」

客「ええっ、そんなにもらったの?俺より多いじゃん!」

と言われたのです。

僕より1回り半は上の、疲れたお父さんがそういうので僕は内心驚きました。そのお客さんは普段あまりタクシーは乗らないらしく、降車の際には、料金をもらうのが申し訳なくなったのを覚えています。僕なら普段使いでは払えない金額だったからです。もちろんそれも会社で負担してもらえたのかも知れませんが、なぜか申し訳なく思ってしまいました。それぐらい、「タクシーを使うサラリーマンの人=余裕のある人」という思い込みも強かった。

 

***

 

また別のとき。ヒマでヒマでタクシーが有り余っている日はよくありました。乗ろうとしたお客さんに知らないビルの名前を伝えられ、

僕「すみません、ちょっと分からないので調べさせてもらっても宜しいですか?」

客「知らないの?じゃ他の乗るからいいよ バンッ」

で別のタクシーに乗車、ということも恥ずかしながらありました。他にもいっぱい走ってますからね、タクシーは。

 

逆に、大雨や電車が止まったり、連休前の深夜などはタクシーの需給が逆転。同じように場所が分からなく、

僕「すみません、ちょっと分からないので調べさせてもらっても宜しいですか?」

客「いいよいいよ、全然いいよ!ナビでも何でも使って!いやー運転手さん、ありがたいよーいいタイミングで通ってくれたね!あ、住所こっちで調べようか?お釣り取っといてね!」

となることもありました。僕としては同じように対応していても、お客さんの都合でこんなに変わるのかというのを体感したものです。たった一日の中でそう感じたり、「このお客さんと前のお客さん」でそう感じたりするのでなおさらでした。まぁ、僕がちゃんと知っておけばまた違ったんでしょうけど、タクシー業務全体を通して見ると確実にそういう傾向はあったと思います。

 

***

 

そういうことに加えて、夜の悪酔客、朝の急いでいるお客さんは緊張しました。

さらには切羽詰まったお客さん、

客A「産まれるー(妊婦さん)」

客B「産まれたー(孫娘が)」

客C「死ぬー(入院している母親が)」

客D「死んだー(横浜の病院)」

とそれぞれ切羽詰った状態のお客さんなど。色んな状態の人と接してきたのを経て、何か世の中って自分の思ってるより色んな人がいて、それぞれそのときを一生懸命生きてるんだけなんだよなと腑に落ち始めたのです。冷や汗をかきながら、体感していったのです。

 

レベルが違うのだけど、そもそも人間が違う

冒頭のマンガの中では、アドラー心理学を分かりやすく理解するために、『レベル』という言葉を挙げて説明されています。僕も当初は「大手町で働くビジネスマンは同い年にしてレベルが50だけど、俺はタクシーの運ちゃんでまだレベル8ぐれぇだ・・・」と思っていました。

でも上記のようなことを経て、「それぞれ役割が違うんだ、それぞれがいて成り立ってるんだ」と思うようにもなりました。もちろん年収は違うと思いますが、マンガの中でも使われている「人間が違う」「種類が違う」という言葉がしっくりきます。職業や収入が違うのは当然なのですが、そもそもの人間が違う。そう考えられるようになってきて初めて、嫉妬が薄れていった気がします。

事実、すごくいい人もいっぱいいました。これは企業ごとや年齢ごとや見た目に関係は全くしません、少なくともタクシーのお客さんは。障害者の人でも優しい人もキツい人もいました。人間性と言ってしまえばそれまでですが、それぞれの人間でレベルを上げている、とも言えるかもしれません。これもタクシー運転手という勝手な自分の見方ですし。

 

社会の中で世捨て人にはならないよう、レベル上げに努める

いつだったか、調べるとかなり前のようなのですが、アーティストの『東京事変』の特集がNHKで放送されていました。たぶんポップジャムの特集だったのだと思います。東京タワーをバックにインタビューをしていて、内容はうろ覚えなのですがこんなやりとりがありました。

インタビュアー「自分たちが上だというような認識はありますか?」

全員「いやいや(即座に首を振りながら)全くそんなことはありませんよ」

亀田氏「社会ですから」

林檎氏「世捨て人にはなるまいと常々思っております」

その亀田さんの「社会ですから」という優しい口調と、林檎さんの確信をもった口調が印象に今も鮮明に残っています。

社会だから、比べることはないんですよね。劣等感が全く無くなったわけではないですが、そういう「周囲と比べる」ということはだいぶ薄れた気がしますし、それで楽になれている気がします。逆にどういう職業でも蔑むことが無くなった気がしますし、農家で泥だらけになるのも、実際に農家の人が言うほど気になっていません。自分が自己肯定・自己受容できなかったときにタクシー運転手をしたのはいい経験だったのかも、と今更ながら思います。

 

あとは自分の中でちゃんと自分を受け容れられるか、これは今後の課題です。自己受容、自己との仲直りというか。

 

 

長文読んでいただきありがとうございました。

 

(※出てくる実話っぽい話は場所や職業を変えているフィクションです)