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元タクシー運転手から泥沼にハマった男のブログ

30代元タクシー運転手が農家になる途中

恋愛・結婚できないのは自分に自信が無いから

男女・結婚 精神・自己受容

最近、ワーキングプアぶりに拍車がかかってきた。国民健康保険が高すぎる。封筒が届いてびっくりした。来年2月まで毎月毎月この金額を払うのかと思うとうんざりする。支払った国民健康保険で老人の寄り合い所を提供する僕。ハタライテモハタライテモ感が強くなってきて、焦りが出てきている。本当にやっていけんのか。

 

***

 

さて、今回はこの記事について書きたいと思います。結婚するのかしないのか、についてははてブでもかなり目に入るテーマだし、いつもある程度ブクマがされている印象があります。国保の支払いに、月入りの20%ぐらいを払っている(アホかと)30代男独身ワーキングプアのこれまでの経験を元に私見を書いておきたいと思います。ふざけ半分。

目次

 

結婚が嫌なわけではない、泥沼に見えるだけ

まず、記事中にこうあります。

内閣府が2014年3月に発表した調査では、未婚男女の7割が「結婚したい」と回答し、うち約半数が「経済的に余裕ができ」れば「結婚を決心する」と答えている。

もごもごやっている未婚のワープアのキモチワルイ7割の男も、結婚はしたいんです。

さらにこのアエラがやっている「結婚観などに関する調査」についてですが、対象が首都圏1都3県に住む20~40代の独身男女622人を対象にしています。これがまず、政府や公的機関が取ったアンケートをではないこと。

首都圏1都3県とは東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県のことです。これは、高校生程度なら東京都心へ一人で遊びに行けるレベルの地理であることを前提としたいと思います、人口比率的にも。人口も多くて若い人も多いエリア、そういう前提で。

例えば秩父や南房総に在住で20代~40代って、そもそも未婚比率低いと思うんですよね。東京23区や近くの政令指定都市に比べると。元都民のキモチワルイワープア男的には、少なくとも今住んでいる地域には、若い未婚女性がすっぽりいない気がする。でも、秩父も南房総もイイトコですよね。

 

結婚の前に交際相手?

そもそも結婚の前に、付き合っている人がいるかどうかは僕も重要な気がします。この元グラフもえらい恣意的な作りにしてあるなぁと感じますが、これを見ると、結婚するつもりはないと答えている男性は全体の23.6%。その中で恋愛したくないという人は31.9%つまり全体からすると7.5%

これ覚えといてください!女性のみなさhさn!!

未婚の男の中で、結婚したくなくて恋愛もしたくない人は、

全体の7%です!

だから世の女性は、あとの93%の独身男を見捨てないでね。グラフにまどわされないでくださいね。

ま、これで僕の伝えたいことの半分は言えた気がする。世の人の大概は結婚に希望を見ているわけです。

 

座談会で出てきている、水木しげるのマンガに出てきそうな雰囲気とかえらい言われような男性の学者の田中さんが言うように、後付けでそう言ってるだけなのが大半だと僕は思います。諦めだったり、ひねくれだったり、ネガティブになっているから。本当の意味での嫌婚は1%ぐらいでしょう。

ただ、「できたら結婚したい」と思っている男の中にも、そういうネガティブな感情が膨らんできているのは事実だと思います。社会情勢も大きいでしょうし、でもそれだけではないと思います。

そもそも未婚の人や交際相手もいない人が「嫌婚」と言っていたらなんかおかしいです。そういう相手と出会ってないからでしょう、ということです。だから「嫌」とは違うんですよということですね。

僕が主張したいのは、相手(まだ見ぬ相手含む)の存在と自分との関係性がうまくいってないのでは、ということ。俗に言われるのは理想が高いということですが、実際はそれとは少し違うと思います。

まずよくあるのが、美人とイケメン論です。

 

美人・イケメン論

東京や街中には美人(イケメン)が多すぎます。これはど田舎→東京→地方都市と移りすんだ僕の偏見ですけど、同じような場所に住んだことがある人は、ある程度実感できると思います。

男目線ではありますが、 「東京では美人の絶対数は多いけれど、でも相対的な数は田舎も都会もあまり変わらない」という話を以前書きました。つまり「中の中」の絶対数も多いということですね。まぁ美人が東京を目指す風潮は無いことはないと思いますが。不思議なもので、僕らの薄汚れている目は美人を先にキャッチする仕組みになっているようです。無意識に目が行くんですね。

それで、やっぱり「あれ、こんだけ美人いるんだから、俺も美人と付き合えるかも」と勘違いするんじゃないでしょうか、心のどこかで。恥ずかしい話ですけど、無理だと分かってはいるけど、都会では目に入ってしまう。そんでたまに美人なのにフリーだったりすると、勘違いをこじらせそうになる。

でもここで唱えなければならない言葉があります。

 

安心してください、

眼中にありませんよ。

 

いや、まずアタックすることも大事ですよ。好きだと思ったのなら。そこから始まりますもんね。でも、そのフリーの女性もこじらせてたりして、「もっといい男を」と思ってるものです。

眼中にありませんよというのを聞いて「気概がない男だ」とはあちゅうさんのように言われることもあるかも知れませんが、そういう意見にフンガーッとなって美女にこだわるというのは、相手の土俵に乗っているという気がします。美人じゃなくてもいい人いるよね。と思えるようになろう。

 

女性も同じかも・・・「男はカネ次第」論

これは女性も同じなのでしょうか。

最近は「イケメン志向」が明らかに強まっている気がしますが、それでもやはり今も昔も、女にとって男は、財力=カネを持っているか、持つ予定があるか。「安定しているか」が重要でしょう。百戦錬磨の女性はカネのニオイを察知する能力が長けているでしょう。・・・そうそう、合コン終わりの女性がタクシーの後部座席で繰り広げる会話ほど、エグいものを僕はなかなか知らない・・・。

そういう女性は男からすれば、人間性じゃなくフトコロだけをどうにか透かして見てやろうという感じが嫌です。

でもよく考えると逆の立場で言うところの、巨乳の女の子に「顔じゃなくおっぱいのほうを向いて喋ってる男」と思われるのと同じかもしれないと思い、反省しています。

話がそれましたが、そういう収入についてもイケメンについても、平日昼間にちょっと都心部に行けば、年収600万とか800万のサラリーマンがウザいくらいにいます(いるように思えてしまう)。僕が気合いの入った婚活女子だったら、まず顔で選別された道行くサラリーマンに「すみません、年収と貯金額いくらくらいですか?」と聞いて回りたくなります。せっかく東京で高い家賃払って住んでるんだから、それなりの男見つけなくっちゃ・・・。「仕事も大事だけど恋愛も」という。

実際はそんな風にカネについて露骨には聞けないから、その他の情報で判断するために目線が鋭くなって、審査員とか面接官みたいな女になりそうですね・・・。

 

顔と金以外の指標・・・そもそも人間関係に指標?

さて、ここで顔やカネの話はおしまいで、タイトルで書いたことを言いたいと思います。カネは数値で表れるし、顔も他と比較しやすいから、大多数の人は「結局顔」で帰結しがちです。もちろん要素としてはあるんでしょうが、でもそれは人間関係を構築する上では導入部分にしかすぎないでしょう。「いやそれは建前だ!やっぱり顔、導入段階で弾かれては意味が無い」という話もありますよね。しかしそこが現代若者間の暗黒面で、そういう分かりやすいスペックみたいなものしか判別材料がなくなっているんだと思います。

 

本来人を好きになるというのは感情的なことのはず。結婚したい、一緒にいたい、というのもそう。「この人と結婚したら定年までにこれだけのカネが入る予定で、この顔だから周囲にもある程度自慢できる」というような理屈をこいて一緒になるのは、不自然としか思えません。また美人だからという理由だけで何十年もエロスを感じられる男もかなり少数派だと思います、だって絶対しわしわになる(笑)。もちろんそういうルックスやカネがその感情のスイッチを押す要因にもなり得ると思うんですが、それのみに単純化しすぎな気がしています。

しかし逆に世の中にはこれを普通だと当然のごとく思っている風潮があります。「あそこの嫁さん美人なんだよ、いい嫁さんもらったよな」「あの彼は能力が高くて年収1000万なの、しかもイケメン」。それが当然のように恥ずかしげもなく話す。僕もそれが普通かなと思っていましたが、やっぱりおかしいことなのでは、と最近思うようになりました。

本来の自分を受け入れていないから、相手のことも歪んで見えるんじゃないだろうか

それがなぜおかしいと考えるようになったかというと、自分の本当の感情は何かということをここ数年考えているからです。

結婚と恋愛は別の話だと思います。結婚は生活共同体ですから。お金もいる。しかし僕のように恋愛経験も少ない人間にとっては、結婚といわれても実感が湧かないのが実情です。そのためには恋愛も含めて、まず人を愛するということがどういうことか、を知る必要があるように思います。とかくこの経済情勢ですから、「貧乏人同士で結婚して子供を持ってからでも愛は分かるよ」というのはリスクが大きすぎる。

恋愛にも結婚にも共通するのは、まず人を愛するということです。恋い焦がれるという意味ではなく、思いやること。そのためには、自分を知り、自分を愛せるようになることが必要だと今のところ考えています。そうじゃないと好きになれないでしょう。独り身のあなた、今猛烈に好きな人います?

今の時代というのは、特に若い人は必要以上に周囲の人を気にし、比較することが当たり前になっていると思います。その原因は以前に比べて情報が多い社会だからでしょう。これからそれはもっと顕著になるかも知れません。そういう民族性なのでしょうか。パソコンの前で「ああ、この人は私に比べてなんてすごいんだ、はぁ・・・」とつぶやいている姿というのは、ハタから見たら滑稽かも知れません。

 

自己受容の後で愛が芽生えるんじゃないか・・・

自己肯定・自己受容についてもこのブログではいくつかテーマにして書いていますが、恋愛・結婚についてもこれが元になると思っています。「自分も好きになれないのに人を好きになんてならないよ」「自分自身を受け入れられてないのに結婚するって、それただの依存じゃん」というのが無意識の底にあるのではないでしょうか?特に結婚に気後れしがちな人の間に。それが「嫌婚」などとすり変わって世の中の風潮になっているのではと思います。

そういうことを気にせずに相手に全てを無理なく期待できる人はいいのですが、現代は男も女も相手を受け入れられる前段階、「自己肯定・自己受容」ができていないような気がするのです。だから彼氏も彼女もいない。さらにけん制し合っているような感じ。だって明らかにおかしいもんね、彼女を作ろう、合コンだーとか。不自然の極みです。合コンってのもいいと思うんですけど、形式が不自然なことが多い。自己受容できている人の場は至って自然で、わだかまりみたいなものがないですもん。僕なんかは合コンなどすごく苦手です。自己受容できてないから、不自然なことになるんです。

その辺りの自己不全を攻略した人同士が、幸せな結婚をつかめるような気がします。そこが皆が思う理想の生活のやっとスタートラインというか。せっかく結婚しても、無茶苦茶な夫婦もいます。離婚件数が増えているのもそれが原因のひとつでしょう。昔は経済情勢上、見切りスタートができたのかも知れませんが、今はムリっす。

結婚という形だけにこだわるなら、そんな愛は関係ないと思いますけどね。愛もなんにもなくてもいいし、今の時代に妾がいるというお医者さんともタクシーで話しました。ただ自己愛がない人ほど、愛情がある家庭に強烈に憧れるものだと思います。無味乾燥な生活共同体になるぐらいならひとりでいいや、というのが現状かもしれません。一番身近な夫婦は両親という人が多数でしょうから、それとは違う、他の家族に触れ合うとまた印象も違うかもしれません。

 

おわりに

ワーキングプアが一介のブログでこんなことを書いても、負け犬の遠吠えのように捉えられることも多いかもしれませんが、でもそれこそがこの世の中とも言えます。

全然話をひっくり返すようですが、お見合いもありだと思います。結婚前提で話を進めて、足し算方式で生活を作っていく。愛はすぐには生まれないとは思うけど、少しずつ作っていく、というのもありだと思います。それがうぇーいっていう合コンみたいなノリになるとちょっと違う話になるだけで。

 

経済的な話とか冒頭リンクの座談会の中の話のような意見もあるんでしょうけど、それを踏まえて僕の思ったことを書きました。 なぜ自分に自信が持てないのか、どうしたら自己肯定・自己受容ができるようになるのかは、今のところ分かりません、死ぬまで続くのかもしれません。また書こうと思います。今はそのためにも食える農家になろうと思っています。