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元タクシー運転手から泥沼にハマった男のブログ

30代元タクシー運転手が農家になる途中

震災で感じる孤独

孤独と貧困

大地震がまた起きました。

 

前回の東日本大震災のときには、タクシー運転手に成り立てのときでした。人生で始めてクレジットカードのリボ払いをした月だったと記憶しています。かなり抵抗がありましたが、パソコンの1クリックで借金をしてしまうのは、動作としては低い低い壁でした。

 

3月8がタクシー初乗務の日でした。分からない所だらけで、夜には東銀座からお客さんを乗せて小菅Jctで分岐を間違えそうになって、ヘットヘトになって帰ってきた日でした。

次の乗務の3月10日には、途中でコンタクトレンズが外れて無くなってしまって運転できない状態になってしまい、外苑東通り沿いのコインパーキングにタクシーを置いて、歩いて四ッ谷駅まで行き、制服のまま電車で自宅までコンタクトかメガネだったかを取りに帰った日でした。もちろん売上はぐだぐだ。

 

そんな日の次の昼間に起きたのがあの地震でした。

 

ニュースを見ていて、一番感じたのは自分の孤独でした。

 

なぜか。

あの後ニュースで取り上げられたのは、「家族とはぐれた」「連絡が取れない」「友達は流されて亡くなった」といったことばかり。

いや、そういう類のことばかり、目に耳に入ってきていた自分がいました。

そういう、というのは、あまりに一般の人が、誰かとつながっていたり、愛し合っていたり、お互い大切にしている存在であったりしたということです。

 

そういう世界と完全に縁が切れていた僕は、それを自覚したときに「オレは本当に自分のためにしか生きてないんだなぁ」と実感したし、だからといってこれ(今のタクシー運転手としてもがいている生活)を辞めるわけにはいかない、という、逃げられない実生活としての感覚があったことを覚えています。

 

そして、こんなひねくれた最悪なことも考えました。

「離れて悲しむぐらい愛する人がいるなんて、そんなの幸せじゃん」

 

今思えば、そのときの僕が相当参っていたんだなと思います。川越街道の側溝のフタの上を「自転車は車道を通行するルールだ」と言いたげにガタガタ自転車で走っているような、そんなひねくれがありました。

そして今の僕が、ある程度孤独が紛れているんだろうとも思います。

 

孤独は、確実に人をダメにすると思います。ネットでも匿名でもいいから、人は人とつながる宿命にある存在だと思います。

 

被害に遭われた方、誰とでもいいので、声を掛け合っていただきたいと思います。