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元タクシー運転手から泥沼にハマった男のブログ

30代元タクシー運転手が農家になる途中

「有機農業以外はケガレ」と素直に言ってくれれば

精神・自己受容 農業

ここまで有機栽培と一般の栽培が対立しているとは

オーガニックとか有機農産物という言葉は、そういうのに疎い僕でも農業をやる前から聞いたことはあったし理解していたつもりだった。ああ、オーガニックって環境と健康にいいんだよな、ぐらいだった。

実際に農業の現場に入ってみて、また農業大学校で話を聞いてみて初めて、こんなに「有機農業」と「慣行(これまでの一般的なという意味)農業」が対立しているのだということを知った。

とりあえずここでは、有機の定義やオーガニックの定義、また良い悪いを置いといて、この不毛な戦争の原因のひとつであろうことを、僕の勝手な妄想で書いてみたいと思う。

 

「有機じゃないとキモチワルくて低俗」が深層にある気がする

勝手な妄想なので結論から書くと、有機志向の人(主に消費者)は、農薬や化学肥料が環境に悪いとか健康に悪いというイメージより先に、「なんか気持ち悪い」「バッチィ」というイメージがあるのではと思っている。そういう人は、環境に悪いとか健康に良いというのを後付けの理屈にしていると感じる。

僕の近辺にはオーガニック志向の人も結構いる。かくいう僕は慣行でやっていて、僕がそういう人にイジワルをして「化成肥料と農薬ばんばん使った○○で~す」と紹介するとたいてい「うわっ」という反応をする。

それは明らかに「汚ねっ」という反応である。化成肥料は堆肥と合わせて窒素量を計算して入れ、農薬取締法どおり農薬の量・回数をきっちり守った農産物であってもそういう反応が返ってきてしまう。またその人に実際のほ場を見せたときには「あ~・・・」という反応が返ってくる。生き物が少ないんだねという反応だ。

まぁ僕も一年目というか研修中の身分なので正直詳しいことはまだはっきりわからない。だから何も言えないのだが、その「うわっ」とか「あ~・・・」という反応だけは、正直あまり気分のいいものでないということだけは言える。慣行(≒前時代の)という言葉のイメージも相まって、慣行栽培でやっている人にはそれが自分を貶められたように感じてそこから火種がパチパチ言い始めたのではないかと思う。自分がキモチワルくて低俗と言われているような

僕がタクシー運転手をやっている時代に、プライベート時に同世代の女性に自分の職業を告げると、顔面の片側だけで「へ、へぇ~」とひきつり笑いをされたことが何度かある。そのときにも「自分をバッチィもの扱いされた」感じがした。人生で初めてそういうことをされたので心に残っている。それに似た感覚。

 

そういう個人の感情をまた環境や健康という一見科学的で納得しそうな理屈で覆うからよくないと思う。素直に「オーガニックでないと私はキモチワルイ、慣行栽培のこの野菜は気持ち悪い」と言ってくれればまだ受け入れられるのだが。そういう人は自分のお客さんではないのだ、と割り切れるのだが。でもそんなことしたらそれこそ喧嘩になっちゃうから理屈で覆うしかないのだろうとも思う。

 

こんなことを考えたのも、先日ブクマされていた記事で「穢れ(ケガレ)」について言及されていたからだった。

togetter.com

これこそまさに心理的な抵抗があるという、論理より感情が上位にあることの表れだと思ったし、これって農業で俺が今感じていることも同じかも、と思ったので。トップブコメが「穢れは差別と密接」とあるが、正にその通りだと思う。原発の放射能問題も同じことなんだ、と初めてそこで気づく。

 

つまり一つに、

有機志向の人は穢れに対する感受性が強い 論。

 

以上、個人の妄想。

もちろん良い悪いなど裁けない問題。

 

そんな人は一部かもしれない。また、実際に体にアトピーなど害があったり、子供が危ない目にあったりするのは穢れの感情とは少し違う気もする。ただ僕が感じるのは、「穢れ」は思想や思考ではなく感情の一種だと思う。あるいは、感情にすり代わってしまったような。

 

 

 

こちらは栽培論でよく読ませてもらっているブログ(理解できない所も多いけど)