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元タクシー運転手から泥沼にハマった男のブログ

30代元タクシー運転手が農家になる途中

人生において「逃げ」とは何か?

精神・自己受容

少し前、久しぶりに曇って天候が悪くなり、気圧も下がり、やけに内向きになる状況。

 

そんなわけで、久しぶりに「自己肯定」みたいなことについて考えている。

 

僕は一昨年、農業で稼げるようになる、という目標を持って、東京でのタクシー運転手を辞め、こちらに引っ越して来た。

 

しかしそれを当初周囲の人に伝えたときに、「逃げだ」と言われた。おそらく辞める理由に、道路を走ってると子供が飛び出てきてそれからまともに運転できなくなった、トラウマだもんうわーん、と言い訳じみたことを挙げたからというのも大きいと思う。こちらに来て初めて会った人に経緯を話したときにも言われた。「逃げて来たんだね」と。

 

嫌なこと言うなぁと思ったが、嫌だと感じるということは図星なんだと思う。もっともな理由をつけても、本来プロの運転手なら、子供を見つけたら飛び出てくることを予期してそれなりに対応をしなければならないのだ。僕はそれができなかった。今後同じ状況に立ったときに、その危険を予測して、減速して徐行しする、それを出勤途中の急いでいるお客さんを乗せた状況でも必ずする、その覚悟が持てなかった。

言い訳がましいが、プロのタクシー乗務員ならそれを頑としてやらなければならない。僕はそれから逃げた。今でも政界は分からない。

そしてその他色々、仕事上で嫌な気持ちになることから逃げたのかも知れない。「逃げてきたんだね」と言われたときに「どこが逃げなんですか⁉︎」とは反論できなかったのが証拠。

(※ちなみに轢いてしまったわけではない)

 

僕は中学校から高校に進学するとき、とある部活の強豪校に進学した。中学時代にそこまで結果が出たわけでもない。県大会にも出ておらず、スポーツ推薦があったわけでもないのに。

新入生は入学式より前に練習に参加するのが慣例だった。そこで、人生で初めていがぐり頭にした僕は周りの同じ新入生のプレーを見て「こりゃ勝てないな」といろいろ打ち砕かれた。初日にして。

が、そのような態度は決して表には出さず3年間部活をやり通した。それを認めてしまうとそれまでやってきた自分のアイデンティティが崩れるから。3年間、レギュラーを目指していたように見せていた、周囲には。しかし自分では、自分に「ダメ」な烙印をバシバシ押していた。当然レギュラーには一度もなれなかった。

そのことを突き詰めると、結局自分のことをダメな人間だと決めつけていたのだ。

 

僕はそのとき、自分と真剣に向き合わず、自分から逃げたのだ。

 

そしてその後も。

 

ただ、だからと言って自分を責めることもないと、今になってだが思えるようにはなった。

 

人生において、逃げの最たるものが自殺だと思う。僕自身、昔から思い悩むほうだったし、初めて死にたいと思ったのは小学校4年生のときだったのを覚えている。何があったのかは覚えていないのだが。

特に社会に出て最初の仕事を辞めてからはよく考えた。自分は本当に生きる価値があるのか、と。

もちろん本当に自殺してしまう人というのは、「逃げ」というよりも正常な判断ができない精神状態だというのが一番大きいと思う。しかし、生きている限りは、「逃げた」ことから逃げられない。

 

ただ、ここで言いたいのはそういう場面での「逃げ」という言葉の負の力についてである。明らかにその言葉にはマイナスな圧力がかかっていて、言われたほうは確実に落ち込んでしまう。「それは逃げだ」と責めるのは、人生で失敗をしたことのない人か、失敗をうまく克服したと思い込んでいる人だ。そして相手と自分とを対比してマウンティングしてしまう。そういうことでしかそういう言葉は出ないと考える。人が愛と平和の生物ならば。

だから、愛と平和の生物でありたいというあなたがもし「逃げ」という言葉で萎縮してたり落ち込んでたりするなら、そんなことはないよと心の底から言いたい。

何よりタクシー運転手経験者として言いたいのは、

「人はそれぞれ勝手に生きているんだ」

「あんたのことを意識下にある人なんてのは周囲の人の中でも10%以下だ」

それに尽きる。

 

***

 

最後に今自分の人生や生活から逃げたいと思っている人に言いたいのは、

 

 「今後の決断、それについては自己責任だよ」 

 

ということである。一見キツイと反射的には感じるかもしれないが、それは少し考え直して欲しい。

 

というのは、「自己責任論」っとひとくくりにすると、少し違うというのがまずある。

 

「これまでの過去の経過、結果」については、あなただけではなく、周りの人や環境の影響が多分にあるはずた。

 

しかし「これからの決断」については、あなたのそこ時の脳みそで、決断できる裁量を持っているということだ。過去の辛い経験やトラウマや経歴があろうとも。

もっというと、その辛い経験を加味できる能力をあなたは持っている。それはしかもあなたにしかない。あなたしか経験してないことのストックがあなたの脳にある。

 

もちろん、傷つけられた過去の傷は、あなたの両親によるものかも知れない。友人からのあのときのトラウマが、今のあなたの生活の歯車を狂わせたのかも知れない。

 

でも、「狂った」と思うぐらいなら捨てちゃえと僕は考える。

 

今のあなたにとって大事なのは、正しかろうが狂わされようが過去ではなく、あなた自身に決定権のある未来だからである。これは本当にこうなのだ。

 

なーんでこんなクサイ言葉を吐いてるのかと自分でも思う。22歳の自分がこれを聞いたら、冷めた温度で捉えていたと思う。しかしこれは、やはり僕自身が、成人してからやっと自分の人生を歩み始められたと思っているからだ。

この自分感というべきか、自分で意思決定していってる感は過去最大だ。これこそが人生 =「生きる」ということではないかと思うのだ。何かに理由をつけて、自分以外のせいにできる余地を残して生きているうちは、なかなかそういう「自分感」は得られないような気がする。

 

***

 

人生において「逃げ」とは、まず悪いことではないということ。

「攻め」も「逃げ」もなく、自分で決定すること。

そして、決定した自覚がありながら生きること。

これが一番大事なのではないだろうか。

 

 

P.S.

女生は正直よく分からないけれど、特に男は「逃げている」という言葉を言われるとムカっと来る性質が、今の日本の空気感でもまだあると思う。本当は、追い詰められているのなら、自殺するぐらいなら、逃げてもいいのに。

 

その逃げたあとの人生を引き受けられるかどうか、それがその当人にとって重要なはずだ。

んで、結構どうにでも引き受けられる。生きているということが引き受けていることの証左。

 

考えすぎて、先を見過ぎて失敗した感のある僕から見たひとつの人生論です。

まとまりはありません、スミマセン。